職人の技 タイラギ 大石信仁さん

3世代につなぐ潜水漁法・タイラギ漁

丸亀市本島(ほんじま)は、丸亀港からフェリーで約30分。瀬戸内海国立公園に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の1つであり、織田、豊臣、徳川の朱印状が残る由緒ある島だ。人口は約600人、主産業は農業と漁業で、毎日新鮮な魚介類が水揚げされている。
塩飽海域はタイラギの全国有数の漁場。海底10~40メートルに生息し、潜水士の資格を持つ漁師が海深く潜って捕る。船上からはエアホースで空気が送られ、長いときは6時間半潜りっぱなし。潮の流れ、風の強さ、波の高さなどの影響を受けやすい、まさに命懸けの漁法だ。
近年は漁獲量の減少や漁の過酷さから、タイラギ漁をする人は少なくなっている。かつて中四国で60隻ほどあった船も今では20隻くらい。本島では3世帯が残るのみだ。このうち家族7人・3世代でタイラギ漁に携わる大石信仁さん(67)に話を聞いた。

【取材2013年12月】

タイラギ

これがタイラギの貝柱だ。
ホタテより一回り大きく、直径は大きいもので5センチ以上、厚さも3センチ以上になる。
バブル時代は料亭で1個数千円で提供されていたという、超高級食材だ。

タイラギ漁

そのタイラギ、漁ができる期間は、毎年12月~4月の7時半~14時。期間中でも潮の周期で、9日漁に出て6日休みのサイクルで繰り返される。潮見表を見ながら「潮の流れが比較的ゆるやかな9日間が、潜りに向いている時。小潮の時が一番漁獲量も多いですよ」と信仁 さんの妻である弘子さん(67)。天候にも左右される。「海上の波1.5メートル」になれば、白波が立つ。漁は休みとなる。

船には、『親方と呼ばれる船頭』、海に潜ってタイラギ漁をする『潜水士』、潜水士のサポートや上がったタイラギを選別する『綱持ち』といった3つの役割があり、必ず3人で船に乗り込む。
漁の日は6時45分には船に行き、7時過ぎに出航。安全のため、毎日必ずぬかりのない準備をする。潜水士と繋がるエアホースや空気を送るコンプレッサー、通信手段である電話の点検など。潜水服の着用は綱持ちが手伝う。専用器具でしっかりと締める場所もあり、少しでも緩んでいると危険を伴う。毎回緊張感が走る。

大石家は、親方の信仁さん、長男の進一さん(43) が潜水士の資格を持っている。その長男(信仁さんの孫)の一仁さん(17) も昨年の秋に広島県で資格を取得した。船舶の資格も取った。本島中学校を卒業後、この仕事に就くと決心した。「同級生を見ていると羨ましいなあと思うけれど、海の仕事が楽しい。 小さい頃から手伝ってきたので迷いはなかったです。いろんなことを学んで、立派に仕事をこなしたい」と、潜水許可年齢の18才の誕生日を待ちわびているところだ。

タイラギ漁

潜水士は、体の前後に約20キロずつの重りを下げ、鉄の靴とヘルメットをかぶって、水深20メートル付近に潜っていく。海の中では潮の流れを体に受ける。「キツイ時は川の流れのようで、その中を歩くのは体力勝負」。
真冬の冷たい海の中は想像すると凍りそうだが、作業をしていると汗だくになってしまう。「ぬるみ」と呼ばれる一日に2回潮の流れが止まるような時こそが、一番効率よく漁ができる一瞬の時だという。
タイラギは、多い時には畳1畳の広さに2~3枚いたが、近年は10畳の広さに1枚いるかどうか。「足が棒になるくらい歩き回る」。
底砂に生息するタイラギを漁具で捕り、スカリと呼ばれるカゴに入れていく。休憩以外はずっと潜りっぱなし。海の中の様子を「本当に孤独で無音の世界」と教えてくれた。

大石さんご夫婦は、長男、そして孫が後を継いでタイラギ漁をしていくことについて「いつでも心配はつきん。でも、本人たちがやりたいと言って始めたことだから、応援したい」と家族で漁を支えている。

タイラギ漁
タイラギ漁を支える家族

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