パブリックアートの先駆者
「普段生活している中にいいものを取り入れたい」と考えていた画伯。そこから生まれたのがパブリックアートだ。“見ようと思わなくても見ることができる芸術作品”。画伯はそこに自分の社会的役割を見出した。
かつてデザイナーという職業は今ほど多くなかった。そんな背景と、積極的で社交的な性格は、空間の中の作品を次々と生み出していった。
全国各地を見渡してみると、あるある!いろんなところに。猪熊ファンならず、画伯の作品を目にしたことがある方はけっこういるはずだ。
右側の写真以外の作品をいくつか紹介すると
*名古屋名鉄バスターミナルにエントランスレリーフ(1967年)
*彫刻の森美術館モザイク壁画「音の世界」(1979年)
*東京地下鉄半蔵門線三越前駅ホーム壁画「創造の街」(1989年)
*香川県庁舎東館1階ロビー陶画「和敬静寂」(1958年)
*各地ホールの緞帳
40年間『小説新潮』(1948~1987)の表紙絵や、黒澤明監督の映画ポスター、プレスシート、キリンビールポスターなども手掛けた。
「あっ、見たことある」と思った方もいるかもしれない。これらの作品は今そのまま残っているものも多数ある。親しみが湧くと、もっと知ってみたくなる・・・はずだ。
東京會舘のモザイク壁画「都市・窓」(1971年)協力/東京會舘
帝国劇場ロビーステンドグラス「律動」(1966年)資料提供/東宝株式会社
JR上野駅の壁画「自由」(1951年)
慶應義塾大学内壁画「デモクラシー」(1949年)/慶應義塾広報室協力