建物そのものがアート。美術館で作品に触れる
美術館には画伯が寄贈した作品約2万点があり、年に4回入れ替えする常設展示や企画展で少しずつ公開されている。
建物そのものもよく鑑賞していただきたい。地下1階地上3階の近代的で開放感あふれる建物は、世界的建築家谷口吉生氏とのコラボ。ゲート正面には縦12メートル横21メートルの巨大壁画「創造の広場」やオブジェがあり、市民の憩いの場所にもなっている。
壁の高さが7メートル~9メートルある、優しい自然光が入る展示室、ソファやテーブルなどのインテリア、ショップで販売するものなど随所において、画伯の全面的な協力とアイデアが取り入れられているそうだ。
「気軽に入れる美術館」愛称MIMOCA(ミモカ/Marugame Genichiro-Inokuma Museum of Contemporary Art の頭文字)。四国に、香川県に来られた方には、ぜひお立ち寄りいただきたい美術館である。
美術館は丸亀駅前にある。開放感あふれる近代的建物
撮影:山本糾
MIMOCAイメージマーク。画伯がデザイン。
竹トンボ?若葉?MIMOCAのM?
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
・開館時間10:00~18:00(入館は17:30まで)
・休館日年末12月25日から31日、および展示替え等による臨時休館日
・観覧料企画展:展覧会よって変わる。常設展:一般 300円大学生 200円(160円)高校生以下または18歳未満は無料
美術館内にあるカフェに続く階段
About Genichiro Inokuma
プロフィール
1902年 | 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす |
1922年 | 東京美術学校(現東京藝術大学)に進学、藤島武二教室で学ぶ。写実的な作品を描く。 |
1926年 | 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選。以後、第10回、第14回で特選となるなど、1934年まで主に帝展を舞台に活躍する。 |
1936年 | 純粋に絵画を追求するため小磯良平らと新制作派協会(現新制作協会)を結成。以後、発表の舞台とする。 |
1938年 | フランスに遊学(1940年まで)。マティスに学ぶ。 |
1955年 | 再度パリでの勉学を目指し、アメリカ経由でヨーロッパに出発。途中滞在したニューヨークの魅力につかまり約20年間を同地で過ごす。 具象の面影は消え、直線と円を中心とした幾何学的な作品を多数制作。 |
1973年 | 日本に一時帰国中、病に倒れる。 |
1975年 | ニューヨークのアトリエを引き払う。その後、冬の間をハワイで、そのほかの季節は東京で制作するようになる。 |
1988年 | 最愛の文子夫人を亡くす。作品に顔や動物たちが登場する。 |
1989年 | 丸亀市へ作品1000点を寄贈。 |
1991年 | 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館。 |
1992年 | 所有するすべての作品などを丸亀市に寄贈する趣旨の文書提出。以降、順次丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に搬入。 |
1993年 | 東京にて死去。90歳。 |
- 三越包装紙『華ひらく』をデザイン
- パブリックアートの先駆者
- 作風の違いを楽しめる画家
- 建物そのものがアート。美術館で作品に触れる
- MIMOCAの魅力を学芸員に聞く