こんぴらさんと塩飽諸島と、司馬遼太郎。

司馬遼太郎の作品には讃岐の国が結構頻繁に出てきます。その中の1つ、江戸時代の廻船業者・高田屋嘉兵衛の生涯を描いた「菜の花の沖」には、こんぴらさんと塩飽水軍について次のような記述があります。

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金毘羅さんは、本来、山なのである。象頭山ともいわれる秀麗なすがたの山で、海上を走っている航海者の側からいえば類なくすばらしい目じるしになる。その山を見て自分の船の位置を教えてもらい、また他海域から帰ってくると、ふたたびその山を見て、こんどの航海もふじだったことをよろこびあう。自然、山を崇敬するようになる。
多度津の前の海に、船乗りの輩出地としては質量ともに日本一の塩飽諸島がうかんでいる。
「大むかしから塩飽衆が朝な夕なあの山をおがんでいたのを日本中にひろめたのよ」
塩飽衆の船には金毘羅大権現がまつられている。かれらが日本国の潮路という潮路に活躍しているためにいつのまにか他国の船も金毘羅大権現を崇敬することになったのよ、と松右衛門旦那はいう。(菜の花の沖 第2巻より)

 

金毘羅大権現が海上交通の守り神であったとしても、四国の片田舎のこんぴら詣でがなぜ江戸時代大ブームになったのか。

「なるほど」と納得してしまうのは私だけ?

 

丸百BOSS