前回手島について、お店も飲食店も何にもありません…とお伝えしましたが、島の生活どのようにされているのでしょう。
丸亀と手島を結ぶ航路は一日3便。
食材はだいたい1週間分買い置きするそうで、「冷凍庫が頼りです」と島民の方。
郵便局も銀行もなく…、週に1度来る農協に、払い出し伝票を渡して、お金を受け取れるのはその1週間後。払い出しまで2週間かかります。でも島の方は、不自由ないそうです。
病院もありません。月に1度診療所が来ます。
散策すると、古い民家が並んでいます。細い路地を歩くと、まっすぐ伸びる細い道から三差路なると、ちょっと入り込んだカーブになっています。昔敵に襲われないように工夫された作り方だとか。
建築後100年近くの家も多く「塩飽大工が建てた家が多いからね」ということでした。
塩飽大工とは―。
塩飽諸島では戦国時代、塩飽水軍が活躍。信長、秀吉、家康は、この水軍を味方に付け、数々の戦役で活用したという歴史があります。船大工も多く輩出した水軍で、その知識を生かした塩飽大工が家を建てていたようです。
カーブした柱が組み込まれている。まっすぐ立てるだけでも大変な作業のはず
島のある方のお家です。
初めに建ったのは天保3年らしく…。なんだかピンときませんが、1832年です。
もちろん手直しもされているのでしょう。とても立派で、きれいなおうちです。
玄関を開けると広~い土間。「畑から帰ってくると土足のまま家に入れるから楽だよ」。
「奥戸さん」もありました。釜戸です!今は使っていないそうですが、かつては煙突もありご飯を炊いていたんですね。火の神様もお祭りされ、きちんと保存されています。
トイレやお風呂は玄関出てから。立派な蔵まで。手島には蔵のある家も多いとか。
門構えがケヤキの1枚板になっているもの、しっかりした梁や曲がった柱…、山から切り出した栗の木(腐らないそうです)を立派に組み込んでいます、今の時代では見られませんね。
手島は自然と歴史がそのまま残る島。ぜひ訪れてみてください。